自分を嘲笑うのは意外と難しい
今日は夕方、さいたま彩の国芸術劇場に
ヤン・ファーブルの「寛容のオルギア」を
見に行ってきました。ヤン・ファーブルは
去年ルーブルで見て以来ちょっと気になって
いたのです。やー、けっこうすごかったです。
資本主義崇拝の現代社会に対するアイロニーを、
「みなさんのお好きな『ユーモア』とやらに
包めばどれだけでも言っていいだろうよ」と
言わんばかりの、その行為自体が「寛容」に対する
批判と言ってもいいのではないかと思うぐらい
の「笑えないユーモア」のストレートな毒に
当てられた1時間半でした。(いや、本当は
笑うところかもしれないけど、その笑いは
全部自分にグサグサと戻って刺さってくるので、
自分を笑う余裕のない私にはどちらかと
いうと「笑えない」感じでした、だからと
言って面白くないわけではなく、むしろ非常に
面白かったのですが)。これだけ毒々しいのに、
音楽の使い方とか、時折入るダンスのシークエンス
とか、やはり練られていて、すごくよかったです。
言葉も非常に印象的なフレーズがちりばめられて
いました。
あと、これだけのパフォーマンスをするのに、
役者さんというのはいったい、なんて大変な
仕事だろうと、今日はつくづく感じました。
先日は新芸術劇場で「金森 穣 Noism09 ZONE」
というダンスも見に行って、こちらは身体的な
高揚感がすごくあってよかったのですが、
今日のは、高揚感というより閉塞感、緊迫感を
体感するという趣で、身体はすごく意識するけど、
その身体で感じるのは高揚感ではなく抑圧された
感じ、と言えばいいのか。
比べるということではなく、どちらもとても
面白かったです。
帰りはちょっと飲み足りないので、2軒目に
ロック・バー的なところに寄ってしまったら、
本当はマイケル追悼なキモチがしていたので
マイケルをかけて欲しいな~などと思っていた
のですが、ツウな感じのマスターに「マイケル
かけて」といきなり言うのもバカにされちゃいそう
だわん、と外堀から攻める感じで「こちらのお店では
ソウルとかもかけるのですか」といった回り道の
会話からなぜかカーティス・メイフィールドを
リクエストすることしか出来ませんでした。
むーぼんなっぷ。ごめんね、マイケル。
あー、明日はいっぱい仕事しなきゃマズイ。
ヤン・ファーブルの「寛容のオルギア」を
見に行ってきました。ヤン・ファーブルは
去年ルーブルで見て以来ちょっと気になって
いたのです。やー、けっこうすごかったです。
資本主義崇拝の現代社会に対するアイロニーを、
「みなさんのお好きな『ユーモア』とやらに
包めばどれだけでも言っていいだろうよ」と
言わんばかりの、その行為自体が「寛容」に対する
批判と言ってもいいのではないかと思うぐらい
の「笑えないユーモア」のストレートな毒に
当てられた1時間半でした。(いや、本当は
笑うところかもしれないけど、その笑いは
全部自分にグサグサと戻って刺さってくるので、
自分を笑う余裕のない私にはどちらかと
いうと「笑えない」感じでした、だからと
言って面白くないわけではなく、むしろ非常に
面白かったのですが)。これだけ毒々しいのに、
音楽の使い方とか、時折入るダンスのシークエンス
とか、やはり練られていて、すごくよかったです。
言葉も非常に印象的なフレーズがちりばめられて
いました。
あと、これだけのパフォーマンスをするのに、
役者さんというのはいったい、なんて大変な
仕事だろうと、今日はつくづく感じました。
先日は新芸術劇場で「金森 穣 Noism09 ZONE」
というダンスも見に行って、こちらは身体的な
高揚感がすごくあってよかったのですが、
今日のは、高揚感というより閉塞感、緊迫感を
体感するという趣で、身体はすごく意識するけど、
その身体で感じるのは高揚感ではなく抑圧された
感じ、と言えばいいのか。
比べるということではなく、どちらもとても
面白かったです。
帰りはちょっと飲み足りないので、2軒目に
ロック・バー的なところに寄ってしまったら、
本当はマイケル追悼なキモチがしていたので
マイケルをかけて欲しいな~などと思っていた
のですが、ツウな感じのマスターに「マイケル
かけて」といきなり言うのもバカにされちゃいそう
だわん、と外堀から攻める感じで「こちらのお店では
ソウルとかもかけるのですか」といった回り道の
会話からなぜかカーティス・メイフィールドを
リクエストすることしか出来ませんでした。
むーぼんなっぷ。ごめんね、マイケル。
あー、明日はいっぱい仕事しなきゃマズイ。
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