はまってる外側から見る
昔は、本など読んでても、没入して話しかけられても気づかない、とかだったのに、今じゃ1ページ読むごとに付帯情報を調べたくてうずうずしてしまい、ちっとも進まん!という感じで、例えばオスカー・ワイルドの獄中記を読んでる時に、p17「私は完全な文無しであり、全然、よるべなき身である」と読んだ日にゃ、すぐに検索窓に
「オスカー・ワイルド 経済状態 1895年」
などと打ち込みたい欲求と戦う羽目になるわけで、こんなこっちゃいかん!と思います。
こうもネットの情報が氾濫しアクセスが手軽になると、当然情報も「魔女のごった煮」になってくるわけで、そうした事に警鐘を鳴らす記事を最近読みました(って、それもネットでなんですが。なんたる事!)
To navigate the dangers of the web, you need critical thinking – but also critical ignoring
(ウェブの危険を制御するためにあなたに必要なのは批判的思考ーでも、批判的"無視"も必要だよ)
これは、最近は特定の利益誘導や陰謀論など間違った情報を意図的に流すサイトも多く、手口が巧妙化しているので、「そのサイトをよく読んで精査しよう」では通用しなくなってるというお話です。学校などでは「物事を理解するためにはそれをよく読み込んで、批判的に考察したりしてみよう」などと習ったりしますね。それじゃもうこの現代は渡っていけないんだぜ!という事なのです。どういう事か?つまりこうです。サイトを見る前に、まずサイトから離れよう、というわけです。「そのサイトを作ってる人、関わってる団体、資金の出所など、先に検索してみよう!」なのです。誘導サイトがいかにもそれらしい学術論文などを参照に引いてサイトを組み立ててる場合、超賢い人でないとサイトを真偽を見抜くのは難しかったりもするので、学生でテストしてみたところ殆どの学生は化石燃料業界の資金提供を受け業界に有利な情報を書いているNPOサイトなどを「中立でない」と見抜けなかったそうです。見抜いた稀有な学生は「このサイトについて」をこのサイト内にある「About this site」からでなく、ウェブ検索で調べた為、他の新聞記事などからサイトのバックグラウンドを判断できたという事です。先に中身をしっかり読んでしまうと、うっかりミイラ取りがミイラになりがちだというんですね。
まあでも、これは広い意味でウェブに限らない事で、本だって、作者がどういう人なのかとか知ると、伝える内容の色合いも違って見えてくる事がありますしね。そう思うと、やはりウェブというのは使いようによっちゃ優れたメディアなんですが、こうしてまた時間がどんどん吸い取られるのであった。
ちなみに、この記事なんですが、じゃあこの記事は信用できるわっけ?というのが当然浮かぶわけですが、この記事元のThe conversationというサイトは、執筆者がすべてアカデミアで構成されており非営利のところなんで、まあ、そこまで偏ってはいないんじゃないでしょうか。(研究者などの集合が、自浄作用も持つ信頼性に足る人々なのか、果たしてそれを評価できるほどわたしが賢いはずもない、という根本的な問題はどうしたらいいんでしょうかね、こりゃこりゃ)
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