ミネルバのふくろうは楽しい方に飛ぶ

 


また今夜もやつが涙を目にいっぱいためてわたしが恋しいとメールしてくるのである。ごめんよ...今日もやる時間なかったぜ。というわけで何の話かというとDuolingoです。Duolingoはネットやアプリで無料で利用できる語学学習アプリで、しばらくやらないと催促のメールが来るのです。

 わたしはフランス語を10年ぐらい習っていたのですが、コロナ禍で通学が難しくなってしまい去年止めてしまいました。人間の脳というのは一体どうなっておるのか、学ぶ時にはあれだけ時間をかけたのに、消え去るのはあっという間。あーもうなんだっけ、活用とか、綴りとか、瞬く間に露と消えてしまったので、こりゃいかん、と時々Duolingoで復習しています。それと、オランダ語に興味があるので、そちらも時々。

Duoは初学者向けなんで超簡単な所から入りますし、低レベルの所での繰り返しも多かったり、それをスキップしようとテストをやると、Duo例文に沿った回答でないとバツにされたりするんでなんか結局簡単な所をぐるぐるやる羽目になってしまったり、などもあるんですが、ちょこっと勉強するのにはよいです。フランス語の復習には全然物足りないけど、全然知らないオランダ語の勉強にはちょっといいかも。なにせ、まったく読めない暗号みたいなものが、なんとなく続けてるうちに一応意味をなした文として解読できるようになる、というのはちょっと楽しいものです。そして、Duoの一番いい所は、大した事もしてないのにやたらとほめてくれる所です。勉強って、怒られたりけなされたりしながらやると楽しくないですよね。

わたしがフランス語を始めたのはそもそも、一日中仕事机にへばりついてるだけの毎日にちょっと疲弊してたので気分転換の時間を作りたかったのが動機でしたが、それでフランス語を習得できたのかというと、結果からいうと、別に仕事で使えるとかそういう風には全然ならず趣味レベルでしたので世間的に言えばやってる意味は全くなかったとも言えます。が、「勉強における恥をとっぱらう」という経験ができたので、わたしにとっては非常に楽しく身になりました。この、「恥」っていうのが人生のネックだと思うんですよね。

英語って、たいていの人は義務教育期間で6年〜ぐらい勉強してるはずなのに英語を発語する事が恥ずかしくないですか。わたしは長らく恥ずかしかったです。だって、間違ってたりしたら、恥ずかしいもーん。しかし、フランス語教室に入ったら、クラスメートも全員デヴュタン、初心者。「できなくて当たり前」であり「話せるようになりたい気まんまん」であり、つまりは人生で初めて、お互い恥ずかしいとか考えずに外国語を気軽に話せる場だったのです。また、先生も決して人の発音や間違いをばかにしたりせず、怒ったりさげすんだりもせず、淡々と必要な事を必要なタイミングで教えてくれ、要所要所褒めたり補足してくれたりと非常に優秀な先生たちでした。発語するのが怖くない。これってすごく大きなパラダイムシフトで、おかげでフランス語だけでなく英語を話すのも(下手くそさは変わってませんが)ハードルがかなり下がったと思います。というか、語学に限らず、「自意識を棚に上げて興味や目的に集中するといろんな事がラクで楽しくなる」みたいな気づきがありましたし、副次的効果で、かなり人見知りな方だったんですがそれも少し軽減した気がします。

学校教育の初学って、それと真逆な面が往々にしてあって、体育とか、図画とかでも、興味を持ったり楽しんだりする前に「人と比べてお前は劣っている」みたいな事を白日の元に晒すような体験の方が学習そのものよりも多く積み重なっちゃってませんか。でも、考えてみると、その道のプロになるとかでない場合、学習って「物事を理解会得する事で自分の人生をより便利にしたり、豊かにする」のが目的なわけで、「必要なものを必要なだけ」学ぶなら、人と過度に比べたり競争したり劣等感を持ったりなんて、それこそ必要ないのでは。と思うのです。

わたしは絵を描く仕事なんで、よく人から「絵が描けていいですねー、わたしなんか本当に下手で、絵心なくて」と言うような話を聞きます。で、そういう人が絵を描いてみると、別に全然下手じゃなくて、わたしなんかよりむしろ新鮮で味があるいい絵を描いたりしておりびっくりする事があるんですが、そうなると

「誰じゃこの人に余計な劣等感植え付けたのは」

って気分になる事が多いです。実際、学習上で「先生に怒られた」「皆に笑われた」的な経験を持つ人の話も多々聞きます。基礎教育ぐらいのまだ「お試しパック詰め合わせ」的な勉強段階でその人の心に傷をつけ、必要なスキルでなく一生もののコンプレックスや自意識の壁を教育してしまうのだとしたら不幸な事ですよね。...ええ、わたしの場合、体育なんて大っ嫌いですとも、今でも。ぐすん。

しかし実際、今これを書きながら「こんな低レベルな話を語学ペラペラな人に読まれたら恥ずかしいな」みたいな自意識とやや戦ってるので、学習における「恥」の呪縛はなかなか強いとひしひし感じます。「ネイティブはそんな事言わない」とか、デキる人(?あるいは教材ビジネス?)からのダメ出し言説も世に溢れていて、脅してくる圧が高いですしね。まあここで「勉強サクセス術」なんてものを期待して読んでる人は皆無だと思うのでそんな圧を感じる必要はまったくないはずなんですが、それでもちょっとそんな風に思ってしまう、これこそ呪いの深さよ。おお怖。 

というわけで、たいていの人は初学段階では「ほめられた方が伸びる」というか、苦手意識をいかに植え付けないかが幸福の鍵なんじゃないでしょうか。キビシイ鍛錬とか、そういうのは学習意欲が十分育ってからの話なんじゃないかなというか、なんにつけ、そもそも学びを深めれば自分のクオリティに一番厳しくなるのは自分なんじゃないかなとも思いますし、深い習熟の道に入った後には挫折や苦しみはありますけど、アペリティフぐらいの勉強ならば、ちょこっとマイルドでテイスティな方が手を伸ばしやすいですよね。

 

まあ、でもDuoみたいに甘やかしだけだと、ついつい忙しさにかまけてちっとも勉強しないんですがね。だらだら生きてるくせに、いつも時間がないのであった。Pourquoi?

 


 


 

コメント